「人生は、私を愛する長い旅」

エッセイ

フジ子・ヘミングさんのCDを聴き返している、この数日。

私がフジ子さんの演奏を生で拝聴したのは、一昨年の12月だった。

ずっと「いつか」と思っていた。

早いとこ行った方がいい、となんとなく心の中で思っていた。

ある日、もはや何がきっかけだったか分からないくらい、
それは「降りてきた」(スピリチュアルな話ではないのでご安心ください)

なんでしょうね、勘です。

その時期は、プライベートで変化が多かった忙しい時期。

なのに、なぜかそんな時に「行かなきゃ」と思い、
ネットで調べたら直近でフジ子さんとオーケストラのコンサートがある!

夫に都合を聞いて(確か、そこそこ都合悪かったんだけど)
そんなに行きたいなら、とその場でチケットを予約しました。

2022年12月 / コンサート当日。

会場は渋谷のオーチャードホールだった。
たまたま空いていたチケットが最前列のひと席だったので、間近にその様子を見ることができた。

舞台に現れたのは、杖をついて歩くフジ子さん。

ピアノのペダルを踏めるのだろうか?と思わず心配したのも束の間だった。

ピアノの前に座った彼女は、舞台袖から歩いてきた人とは別人のように力強く、そして懐の大きい優しい演奏をした。

鳥肌が立って、涙を流すのを忘れるくらいしびれた。

月光からはじまって、いよいよ生で聴くフジ子・ヘミングの「ラ・カンパネラ」
その演奏の途中、彼女の手が少しつまづいた。会場全体が息をひそめる。

それは誰がみても明らかだったけれど、彼女はゆっくりと軌道修正をしてその大作を弾き切った。

演奏後のトークで「足はうまく動かず、手も痺れてしまう。でも、みなさん、このあとオーケストラのみなさんが素晴らしい演奏をしてくださるので安心してくださいね」とチャーミングに笑った。

その時すでに90歳だったはず。
聴覚は子供の頃の風邪と中耳炎で左耳が少し聞こえる程度。
歳を重ねて、手足もおぼつかなくなった。

でも、そんなことは関係なかった。

フジ子さんがピアノを引き寄せているのか、
ピアノがフジ子さんを引き寄せているのか、
とにかく、彼女はピアノそのものだった。

ラ・カンパネラはイタリア語で「鐘」

それを弾く人の人生を映し出すといっていたのは、フジ子さんだっただろうか。

フジ子さんの弾くカンパネラはバレリーナのようにみえる。
優雅な姿のまわりには小さな光の粒がきらきらと舞っている。
そのしなやかさは、人には見えない人生の不規則な波による鍛錬で作られているような。

「人生は、私を愛する長い旅」

これは彼女のドキュメンタリー映画の冒頭に映し出されるフレーズ。
92年の人生をかけて、彼女は懸命にご自身の人生を愛してきたのだろう。
一生かけても頭があがらない。

フジ子さん、もちろんあなたは私を知らないけれど、
長旅、お疲れ様でした。ありがとうございます。

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フジ子・ヘミングさん(~2024年4月21日 享年92歳)の訃報を受けて。

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