命がおもすぎる

エッセイ

最近、読み終えた書籍はあこがれの人のエッセイだった。

「みずのした」中川正子・著

写真家の中川正子さんがSNSで紡ぐ言葉がだいすきで、そんな正子さん(勝手ながらそう呼ばせていただきます)のエッセイなら、読まない理由がなかった。

正子さんが出会った、激しい白鳥(?!)がインスピレーションになったとのこと。
水上は優雅・・・だったわけではなく、水上も激しく、きっとみずのしたはもっと激しいはず。
とのこと・・・・気になる。

エッセイは過去の正子さんの書いた言葉に、今の正子さんが言葉を贈る、往復書簡形式だった。

これはほとんど、半生と綴った自伝にも見える。生きてきた記録。

正子さんの文章らしい、みずみずしさ・生々しさ・リアルだけどどこか詩的・チャーミングさ。

そんな魅力たっぷりの1冊に、くすりと笑ったり、うるっとしたりしながらゆっくり読み進めました。

そして書籍の最後、あとがきを読み終わった私は…涙を流していた。

あとがきには、最近になって同年代の友人・知人を亡くしたというお話が書かれていた。

私は今、36歳で、幸い身近な同年代の子たちはみんな元気に生きてくれている。

でも、いつか絶対にそんな日が来るのだ。もちろん、自分も含め。

私は比較的、日頃から命の重さを重要視している方(しすぎている方?)だけれど、やっぱりそんな絶対に来る未来を想像する覚悟はできていなかった。

考えただけでも、苦しい。

命の重さがほんとうに重くて、今の私にはまだ受け止められそうにないな。困ったな。

まだ心のどこかで、みんな永遠に生きててくれないかなって考えてしまっている。

本当は、こんなことを言葉にするのも怖いくらいだけど、どこかでこの気持ちを向き合う必要があるとも思っていて、だからこっそりここに書いてみようかなと思い立った。

こういうことを考える時は、最終的にはいつも同じ結論に至る。

「今を全力で味わって、楽しむ。これに限るな。」

もうこれしかないと思う。
だって、物理的なものを失った後に、持っていける・遺せるものは想い出や言葉くらいしかない。

それならば、いかに楽しい想い出をたくさん作るか、じゃないのか。

まだまだ私には命の重さを受け止めきれないでいるけれど、
後悔しない生き方だけはしていきたいと思う。

「みずのした」は、私のまた読み返したい本に仲間入りしました。

2024/12/29
acoco

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